ていしゅうはせきずいつうでんほう

「低周波脊髄通電法」は「せきずい活性法」の原型となった療法であり、原理はまったく同
じです。この基本的な研究成果を基に「せきずい活性法」は成り立っています。


●低周波脊髄通電法の誕生
・低周波直角脈波通電を種々の末梢性神経麻痺や神経痛に応用したところ、神経痛にはマイナス極、麻痺にはプラス極が有効であることが判明して以来、鎮痛作用および末梢性神経麻痺に対する卓効が次々と認められてきた。

・しかし、中枢性神経麻痺に対する効果はほとんど吟味されてこなかった。

・私どもの研究でも、従来の通電法すなわち局部通電法では効果が不確実であり、またその持続時間もあまりにも短いので、従来の治療法より優れているものとは思えなかった。

・しかるに筋電図学的変化を追求中、通流条件の違いによって麻痺筋の最大収縮時スパイク放電数ないし放電様式が異なることに気付いた。

・殊に電極を項部および仙骨部に接着して150〜500c/sの通電を行った時、中枢性神経麻痺の麻痺筋の最大収縮時スパイク放電を最も増加させることを認めた。

・そこで数例の脳卒中後の片麻痺に行ったところ、従来到底期待できないほどの効果を認めた。

・引き続いて本通電法を種々の中枢性神経疾患に用いた結果が従来の諸種治療法より優れていた。

・また本通電の作用機序は従来の局部通電法のそれと種々の観点から考えてまったく違うものと思われたので、低周波脊髄通電法(低脊通電)と命名した。

-総説- 低周波脊髄通電法 田坂定孝(『低周波医学』(1957)1巻1号p.5〜11より抜粋)






田坂教授
田坂定孝教授
「-総説- 低周波脊髄通電法」の原文です。
主な業績
内視鏡医学を確立。血液学にも精通。S49年
勲一等瑞宝章を授与される。1990年没(88歳)




●低脊通電の作用機序
・中脳被蓋にある網様体の刺激によって、皮質からの興奮を抑制し、遠心性経路がそれより脊髄の腹側を下る(Magoun,H.W)

・網様体の刺激の強さによって脊髄機能を促進または抑制する。(Gualtierotti,T.)

・脊髄後索や錐体路に反復刺激を加えると硬縮状態が抑制される。(Scherrington)

・低脊通電時に脊髄内に通電が行われることが認められる。(大谷育夫)

・今回の研究において低脊通電時に、麻痺筋において筋力の増大ならびに筋電図にスパイク放電の増加を認めたことは、直接脊髄のみならず、網様体も刺激されて脊髄機能を促進し、治療効 果を示したと考えられる

今回の脳性小児麻痺患児において、低脊通電時に、主に痙直列に筋力の増大、筋緊張状態の軽快などの治療効果を見たのは、通電によって網様体が刺激され、皮質からの異常亢進を抑制し、直接脊髄に刺激を与えることにより痙直の軽減となったと考えられる。

(『低周波医学』(1958)1:61-71より抜粋)

当時の臨床例を御覧になりたい方は、こちらへどうぞ⇒




上記の研究は、1955年(S30)ごろから東大医学部田坂内科(第一内科)で始まる。1957年(S32)には脳卒中後遺症で半身不随の患者が回復し「奇跡の療法」としてマスコミに話題となり、東大を一周半も囲む患者の行列が、「門前市をなす賑わい」と当時の新聞に掲載されたことで、一世を風 靡する治療法として注目された。そして、1958年(S38)には全国で導入されることとなる。しかし、それも長くは続かなかった。それはなぜか?まず第一に治療機器が非常に高価であったこと。そしてそのために患者数と治療器の数(需要と供給)が見合わなくなり治療時間が充分に取れず、満足のいく治療が困難であったこと。そしてこの点が一番の問題であったと思われるのだが、診療報酬(治療点数)があまりにも安かったということである。


因みに、治療の始まった1958年当初は一回に付き70円。現在でも350円である。また、この場合の一回というのは、治療時間とは無関係に一律である。これでは病院経営は成り立たず、その結果1970年ごろを最後にこの治療法は全国から消滅することとなった。現在ではこの治療を行っている医療機関は一切存在しない。



弘前大学、岩手医科大学、信州大学、金沢大学、東京大学東京医科歯科大学、東京女子医科大学、名古屋大学名古屋市立大 学、広島大学、鳥取大学、九州大学、長崎大学、久留米大学、鹿児島大学、国立東京第一病院(現 国立国際医療センター)、市立川崎病院、厚生年金玉造病院、岡山労災病院、石川整枝学園兵庫県立整枝のぎく園、香川県立ゆかり整枝学園、別府整枝学園、九州大学温泉医学研究所、他三ヶ所。



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